2006 年06 月12 日
「マンダレイ」
「ドッグヴィル」に引き続き、またしてもラルス・フォン・トリアーの悪意炸裂!フォン・トリアーの皮肉っぽい、斜に構えた人間理解には賛否両論はあると思うが、私は面白かったし、考えさせられることも多かった。
時代は1930年代。ドッグヴィルを焼き払った後、元の縄張りを追われて、アメリカ南部にたどりついたグレースとギャング一行。通りかかった大農園で奴隷制度が今なお残っているのを知り、グレースは父親が止めるのも聞かずギャングの部下たち数人とマンダレイ農園の民主化に乗り出す。だが、幾多の失敗や困難を乗り越え、ついに改革も先が見えてきたかと思ったところへ、すべてを台無しにする「ママの法律」の「秘密」が明らかになる。
その土地の状況を無視して、民主主義を強引に持ち込み悪戦苦闘する姿は、イラクに乗り出していったアメリカを揶揄しているものとも見えるが、そこにとどまらず自由と束縛、理想と現実という、より普遍的なテーマについて考察した作品になっている。「秘密」が明らかとなるどんでん返しも、自由と束縛というテーマに直結していて、単なるストーリー上の展開に終わってはいない。まあ最終的にはグレースがぶち切れてまたしても農園を焼き払おうとするのだが、ここでもプチどんでん返しがあったりするのがご愛嬌。
それにしても「ドッグヴィル」に引き続き、セットなしというか、1/1平面図の上で映画を撮っているのだけれど、まったく違和感がないのが凄い。もはや、演出的に斬新というのではなく、もともと映画にセットなんか必要ではなかったと思わせるくらいだ。セットがチャチくても演出や脚本がよければ気にならないというのは、低予算映画を見ているとよく思うことだが、実はセットなんて必要ないとは…。
これからは安いセットを作るより「ドッグヴィル」方式だ!セットなしのカーアクションとかいいかも…。
投稿者:親方
at 03 :44| 映画
| コメント(0 )
| トラックバック(0 )